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インタビュー

腹膜透析(PD)-自分の経験を振り返って思うこと

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中山昌明先生(福島県立医科大学 腎臓高血圧内科)

PDはたゆまぬ改良が重ねられ現在に至っています。そこには、産業界、アカデミア、行政などの多方面での長きにわたる地道な取り組みがあります。この根本には、患者にとっての役に立つ在宅医療を普及させるという社会的要請があります。しかしながら、専門家とされる医療者の間ではこんな議論をしばしば耳にします。 
 「PD治療法は不完全である。よってPDは役に立たない。その適応は限定される」。こんな極論も耳にします。「PDは企業利益率が高い。不当である。HDがある以上、PDは必要ない」。PDを知るとされる人がPDを否定するという構造です。 

 「病気を見ずして病人を見よ」~これは私の母校慈恵医大の学祖・高木兼寛先生の言葉です。この言葉を私はPDの議論にそのまま返したいと思います。

 


「PDはそもそも誰のために何のために行うのか?」

この青い質問に対する答えは明らかです。患者のためでしょう。主治医、透析会社、病院施設のためではありません。患者にとって必要性、利点があることが重要です。この意味で、HDで十分という意見の背景に患者の姿が見えません。 
「研究第一」~これは東北大学の校是です。真実を追求する姿勢を常に問い続けています。患者さんとその方を悩ませる疾病、これにどのように対処するのか。患者さんの立場で、患者さん目線での対応。それは必須です。しかし、それだけでは本当の責任を果たすことにはならないと考えます。疾病の病態を追求しなければ、疾病抑制はできません。それに真正面から直接アクションを起こせるのは医師しかいないのです。それから離れて批評家になったのでは現実問題の解決はありえません。 

ご存知のように、腹膜透析は完全な治療とは言えませんが、その利点を最大限、患者さんに還元できるような努力がなされてきました。僕は、患者さんが、自らの力で職場や家庭に復帰していく姿を見て、それを支える責任を医師は担っていると感じてきました。
自分のPDにまつわる経験を振り返ってみます。僕がPDに強烈に意識づけられたのは医師と患者の諍いです。慈恵医大に入局した当初のことです。体液管理がうまくいかず、外来で主治医との間で大喧嘩をして、そのまま病院から飛び出していった患者を目撃しました。大変ショックでした。何せ、医者と患者が外来で怒鳴りあいをしているのですから。患者さんの言い分は、自分は可能な限りの努力をしている。それでうまくいかないことを責められる謂れはないというものでした。それが、自分にとっては、PD治療でのナトリウム出納を調べる契機となり、それが低ナトリウム透析液の開発へと展開しました。しかし、その後、アンラッキーな 出来事が重なり、今に至るまで本透析液の上市は実現していません。悔しいことに、私の報告の後、欧州でも臨床検討が何度か行われ、私が報告した効果が確認されています。この透析液は、今の日本にこそ必要と確信しています。もっと、患者の体液管理を定量的に評価することで、解決策が見えてくるはずです。そして、PDを改良することはできるはずです。

 


PDの目的は、尿毒症管理をする点にあります

90年前半、体液管理治療の向上を目指した低ナトリウム透析液の研究に没頭していた私には、そのころから問題となっていた被嚢性腹膜硬化症対策に関しては、医師として、当時の医療関係者の行動に頭をかしげる点が少なからずありました。合併症ばかりを危惧して、本来の問題である「透析効率の改善」に関する研究が後手に回っている雰囲気があったためです。当時、私は、「多くの患者さんにとっての問題は、特殊な合併症の可能性を不安がることではなく、限られた生命予後の中で今の社会性をいかに維持するかにある」と思っていました。 
「今を救済せずして、いつ救済するのか」が最大の課題です。しかし、そのような私も、90年代末には当時所属していた慈恵医大で多発した被嚢性腹膜硬化症の対策に、文字通りほぼ100%巻き込まれることになりました。当時、本症発症の基本病態は全く不明であり、全くのブラックボックスでした。国内では様々な対症療法、ステロイド治療、外科手術が行われ、その一部は大成功したと思います。しかし、その中で、そもそもなぜ腹膜が傷害されるのか、根本的な理解なしではPD治療の未来が全く見えないという状況が厳然と存在していました。私は、高濃度ブドウ糖によるAGE形成に以前から注目していました。この検討成果は、海外から高い評価を受け、後に、腹膜障害の主要な機序として確認されていきました。この間、スウェーデンの研究者らと交流を持ち、ブドウ糖分解物の関与など急速な科学的展開がありました。これが、現在、国内で標準液となっている中性化低GDP液の上市に大きく貢献したと自負しています。ただ、大きく信頼を失ったPD療法は、その後、中性液の臨床評価に長い年月を必要とし、PDは長い暗いトンネルに突入しました。これが2000年代の状況だったと思います。 
この暗い時期のエピソードとして、私は、ある患者さんの言葉が忘れられません。EPSの疑いで入院している患者(この方は10年以上の長期透析例で、その間、完全社会復帰していたが、ASOでの下肢虚血、腹膜劣化でHD変更):「全くこんな治療をしたせいでこんな状態になった。PDを恨んでいる」。それを聞いた別のPD患者(この方は社会復帰したいためにHDを拒絶してPDを5年間行った方で、別の合併症でHDに移行):「先生、僕はPDを行ったことを悔やんでいない。感謝している。この治療のおかげで様々な点で助けられた。あの人(前述の患者)も同じだと思う。その事実を簡単に忘れてしまうのは寂しいね」。後者の方はその後1年たたずにお亡くなりになりました。物事、調子が良ければ感謝しもてはやす。具合が悪くなれば批判し忘れ去る。これは世の常ですが、一方で、冷静に物事を見ている方がいらっしゃることに病棟で気づかされました。 

中性液の臨床評価を行う。これを実施するのは容易ではありませんでしたが、上市10年を経て、国内ではPDの将来に期待が持てるデータが、NEXT-PD研究、腹膜病理検討で示されつつあります。新しいPDが見えてきました。PDの可能性を信じて、我慢強く粛々と臨床現場で検証を継続してきた先生方-科学的に医療を実践する医師、scientific clinicianのお蔭です。 

物事が不完全であるなら、完全なものにする多くのチャレンジが存在するという事です。疾病と医療との関係を述べるのなら、私は、「治して何ぼ」の世界が医療の本質と認識しています。治すことに挑戦する、それがPDの始まりだったと私は考えています。今一度、このことを見直すべきでしょう。それはすべての医療の背景に存在する根本的な課題なのだと私は思っています。